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幸せパンチコラム
田中 伊織
田中 伊織(練習生)
コーナーでは左に右折する等し、KO牧場でぶっ倒れていないように頑張ります。
忘れられない年 - 田中 伊織 2006年12月28日
年内、僕の「幸せパンチコラム」はおそらくこれが最後だろう。個人的には、会社(もちろん非正社員)の部署移動をしたり、コラムに首を突っ込ませていただいたり、初の休会をしたり、細々とだがいろいろあった。だが、本年は僕の人生の中でもかなり忘れられない年になってしまった。正月が過ぎてすぐ、関東圏に在住の親類(本当に好青年だった)が28歳の若さで大腸癌のために早世してしまったからだ。
 
「一発逆転」と『NO SURRENDER』
 
この青年は、勉強面でも運動でもかなり努力して、その能力を高めていった。もちろん素質がまったくないわけではないが、天才型というよりはむしろコツコツ型と形容するのが適切だろう。運動は、野球・サッカー・卓球・テニス・水泳・スキーとかなりこなし、格技では小学生時代に剣道を数年習っていた。成長してからの本人が打ち込むスポーツは格技系ではなかったが観戦は好きで、いろいろと情報を入手していた。彼が26歳と半年で強い腹痛を訴え、大腸癌と判明した時には、直ってほしかったし、何とかなるだろうと希望は持っていた。休職し、数時間に亘る手術を経て、瘠せた彼は、それでも見舞客には常に笑顔を見せていた。優しい婚約者もいた。僕も数回お見舞いに行き、笑いが癌細胞の増殖を防ぐということなので、おバカな話をしにいった。とはいえ、普通に喋っているだけで十分おバカかもしれない恐れも無きにしも非ず、だが。手術後一年ほどはそれなりに元気で、体力を回復させようと散歩をし、ゆっくりと休養し、職務復帰の用意もしていた。が、悲しいかな、癌は再発し、かなり悪い状態になったと知らせが舞い込んできた。
 
彼の誕生日が過ぎ、秋が深まった頃、僕は木谷マネに「親類が癌なのです。元気付けたいのでオザキジムTシャツにサインとお好きな言葉(一発逆転)を書いていただきたいのですが」とシャツとマジックを購入しお願いしたところ、木谷マネは即座に快諾してくださった。そして、僕の焼き鳥パンチの威力は高が知れているものの、他のハードパンチャー会員、プロテスト生達のパンチをミットで何ラウンドも受けた後、しかしとても力強く書き上げてくださった。僕はとても嬉しくなってお礼を述べ、その品を抱えてお見舞いに行った。彼は自宅1階で病床にありながら、婚約者に付き添われながら何とか2階へ上り、PCでオザキジムのウェブページにアクセスした。「ああ、こんなすごい人から素敵なものをいただいたんだ」といたく感激し「一発逆転(長生き)します。木谷さんにくれぐれもよろしくお伝えください!」との伝言を僕は確かに木谷マネにお伝えした。
 
そのTシャツを贈った日の前後(詳細は忘れてしまった)、僕の住所からわりと遠くはない親族が彼のお見舞いに行くことになり、僕もついて行った。その家には小学校低学年の少女がいて、この子が零歳児だったとき、彼が抱っこして微笑んでいる写真がある。その子は「これから、君を抱いてくれている写真のお兄さんのお見舞いに行くんだよ」と説明をされていたのだが、何せ抱っこされた記憶はないだろうから、実質初対面といってよい。彼もその後は赤ん坊がどれほど大きくなったのかは知らないから、とても楽しみにしていた。病人に会っても楽しくないだろうから何か喜ぶものを買ってあげようと、彼はふらつく身体で婚約者と外出した。途中でぶっ倒れるかもしれないくらいに体力は低下していたが、これが「命懸け」なのだな、と僕はその凄さを思った。「こんなおじさんのところに来たって面白くもなんともないでしょう。でも、よく来てくれたねえ」と彼が痛みを堪えて静かに微笑みながら話しかけているとき、僕は思わず涙をこぼしてしまった。普通なら28歳の「お兄さん」なのに。ただ、その子は賢いし健気だし、はっきりとお礼をいい、後からその母親に僕は「泣いているんじゃねえ!」と怒られた。葬儀で、その子は彼のお骨を拾った。
 
お見舞いから帰ってからも病状は悪化するばかり。僕はさらに、もう助からないかもしれない、表現は実によろしくないが「焼け石に水」になるかもしれないと思いつつも、やはり一日でも生き延びてほしかったものだから、現役時代に飯泉健二さんと対戦したKさんに「公開された『NO SURRENDER』のビデオを飯泉さんにお借りできるよう頼んでいただきたいのですが」とお願いしたところ、忙しいKさんは、これもありがたかったが、快諾してくださった。しかし、こちらの件は残念ながらなかなか諸事情あって都合がつかず、間に合わなかった。
 
年内持ちこたえるか、冬は、暖かい病院内でも寒気がする、もし年を越えたら春まで生きられるか、といった観測希望があったが、医師の見解は「年を越せるかどうか」だったようだ。1月3日だか5日だかに昏睡状態に入って、8日に亡くなった。実に早すぎたが、それでも、意識のあるまましっかり年を越せたし、だからこそそれが彼が命懸けで達成した「一発逆転」だと僕は受け止めている。
 
本年の最後に!
 
あまりに重い話題で最後にしたくはないので、僕の頭の中身よりもおめでたい話を二つ。やはり親類なのだが、父方・母方とも百歳を迎えた女性がいる。このお婆さんたちに共通しているのはつまり「丙午(ひのえうま)」の年に生まれたということで、二人とも気力体力ともに強い。さすがに身体の自由は利かないが意識はしっかりしていて「命ある限り生きる」決意を新たにしたようである。こうなったら2回目の還暦を迎えるくらいに長生きしてほしい。それでは本稿をお読みくださった皆様も、そうでない方々も、佳きクリスマスと新年を迎えられますように!!!(完)
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イタい奴 - 田中 伊織 2006年12月24日
戦争に真っ先に協力させられるのは映画
 
11月26日、以前お知らせした映画祭に行ってきた。幸い、誰からも「幸せパン チ」をお見舞いされることもなく、つつがなく「日本鬼子」「あんにょん・サ ヨナラ」「蟻の兵隊」を鑑賞できた。その後、「蟻の兵隊」製作者である池谷 薫監督のトークショーがあり、監督が「戦争が始まると真っ先に協力させられ るのが映画」と断定されたのが印象に残った。人間が外部から取り入れる最も 影響の大きいものは視覚によるものだから、好戦気分を高めるよう仕組まれた 戦争映画は大いに影響を発揮するだろう。そして、僕もその一人だが、「下流 君」が真っ先に駆り出されるだろう(実年齢が若い順かな? 肉体年齢かな? )。では、上流階級の子弟は? 勝ち組にとって戦争は金儲けのチャンスだか ら、どうしても行きたがらないだろう。死んだら元も子もない。そして、世界 大恐慌による不景気の中、国民の負担を軽減しようと海軍軍縮に尽力したがた めに右翼に狙撃され、それが元で亡くなった浜口雄幸首相(風貌が似ていたた め「ライオン首相」と呼ばれた)とは正反対の小泉首相のご愛息、孝太郎君は きっとスクリーンの中で勇ましく戦うのだろう。父君が国会で憤慨された50万 円の月給(確か)も大いに跳ね上がるのだろう(「孝太郎は50万円しかもらっ ていないんですよ!!」って、恥ずかしながら僕の手取りの4倍近くだ。格差 はますます拡がってゆくだろう)。
 
ヒーローは「イタい奴」
 
かれこれ10年以上前の春に、その時もいい年齢になってしまっていたが、現行 の歴史というものの本質を知る、常識を覆されることがあった。コロンブスの アメリカ「発見」は、もともとの住民にとっては「漂着した」という(これも )事実だ。それに影響を受け、その年の夏、僕はそれまで一般的に「野蛮で白 人を襲う悪い奴」という「事実」を刷り込まされてきたアメリカ先住民(かつ ての常識では「アメリカ・インディアン」と称した。以後、想像しやすいよう 「インディアン」と記す)の歴史を調べた。その中で、とても興味深いことが わかった。ジョン・ウェインといえば、誰もが知る西部劇のヒーロー、「善良 な」開拓民の馬車を襲う「悪い」インディアンを撃ち殺す役で人気者だった。 が、よくよく、被征服者の立場で視ると、勝手に肌の白い人種が上陸して、自 分たちだけを国民と認める「国」を建て(当時の憲法では先住民もアフリカ大 陸から連れてこられた奴隷たちも国民扱いされていない)、自分たちを追い払 う。その理不尽な暴挙に抵抗しても、敗れた以上「勝てば官軍=力は正義なり 」というお約束の下、悪者にされてしまう。だが、そういった映画で彼は頻繁 に「活躍」した。それが、実は彼が「イタい奴」だという根拠なのだそうだ。 第二次世界大戦時、日本の真珠湾攻撃が宣戦布告より先だったということで、 アメリカからすれば「正義の戦い」となった(もっとも攻撃が宣戦布告より後 でも、日本軍国主義対民主主義という構図にはなっただろうが)。ベトナム戦 争時に「(アメリカの侵略戦争に加担し)ベトナム人民を殺す理由がない」と 徴兵拒否をしたモハメド・アリも、もしこの時代に成人していたら、軍に志願 したかもしれない。さて、その戦争には有名人も志願した。「褐色の爆撃機」 ジョー・ルイスも、俳優ジェームス・ステュアートも。ジャズのグレン・ミラ ーは軍用機に搭乗中に(事故で?)行方不明となった。しかし、ジョン・ウェ イン、彼は戦時に何もしていなかった。そして戦争が終わったが、後ろめたさ が残る。そこで彼は新たに「正義の」戦いの場を探さねばならなかった。西部 劇は、最適の舞台だったという分析だった(出典元は確か『アメリカ・インデ ィアン : 「発見」からレッド・パワーまで』清水知久著 中央公論社 1971 )。近い将来、もし外国と交戦状態に突入してしまったら、僕は孝太郎君が「 日本版ジョン・ウェイン」になるのかなと想像している。本人は主演できて嬉 しくなるかもしれないが、もし、戦争反対の監督が強制的に制作させられたら 悲惨である。なお、僕はヒーローとかけ離れた存在だけれど、下流社会に棲み 、このような負け組の遠吠えをしているだけで我ながら十分にイタい奴だと時 々自己嫌悪に陥っている。(完)
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注目すべき俳優、香川照之氏に関して - 田中 伊織 2006年12月22日
きっかけは「バッシング」
 
世間体を気にして主人公を解雇するホテル支配人を、香川照之氏が後援して いる。彼は大のボクシングファンで、関連雑誌でもたびたび取材されているよ うである。「決して日本国内では大々的に注目されない」点に注目できる映画 に、人気・実力とも兼ね備えた俳優が出るのは嬉しいことである。
 
僕が氏を知ったのは数年前、テレビのインタビュー番組で、だった。第一印 象は決してよくはなかった。何しろ落ち着き払いすぎているのだ。どういう理 由かはおいおい判ってくるのだが、アナウンサーが異常に気を遣っている様子 は、番組の始まりから一目瞭然だった。「態度がデカいな」と感じられなくも なかった。さて、番組が進行し、ご両親と、氏ご自身の凄さ等、只者ではない ことが判ったが、「それがどうした」と僕は反発してしまったくらい、氏の表 情は喜怒哀楽を見せず、アナウンサーの緊張度もあまり変わらず、だった。
 
その後も氏は活躍を続け、この数年はさらに有名になった。ボクシングファ ンだと知ったのは実はつい最近のことなのだが、第一印象というものはかなり 強烈なもので、「飯田橋の学校に行っていたから後楽園ホールによく通ったの か、勉強もでき、趣味もしっかりしている。凄いね」と少し斜に構えて見てし まっていた。
 
そして「事件」は起きた。氏が「バッシング」に出演するのが正直、以外だ った。「もって売れる作品に出られるのに。変な人」と思っていた。そして観 た。そして氏への見方が180度変わった。理由は前述の通りである。
 
「鬼が来た!」
 
この「鬼」とは当然、皇軍兵士(旧日本軍の兵)を指す。この、人間が鬼の ような蛮行を繰り返す2000年作の中国映画に香川氏は主人公の日本兵として主 演していた。この作品は同年、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞している。 その日本兵と中国人通訳がそれぞれ、麻袋に詰め込まれ、中国人民家に放置さ れるところから物語は始まるのだが、注目すべき点は、香川氏演じる日本兵が 、戦死し、靖国神社に祀られている状況になっていることだ。なお、役として は中国人の男性(捕虜であろう)を殺害し、女性に性的暴行を加えたことにな っているのだが、それでも「日本のために命を懸け戦った神」として、靖国神 社が護っていることだ。靖国神社が戦争礼賛神社以外にどのような本質を持っ ているのか僕は知らないが、そのことをこの物語(おそらくは事実を基にした フィクション)は明確に示してくれる。「戦地で悪事を働いても死ねば皆善人 」という位置づけは、遺族からすれば免罪符を購入したようで救いだが、被害 者からは賛成しかねることだろう。戦後日本の統治をソ連にさせないためだっ たのに「戦争の犠牲者をこれ以上増やさないために原爆投下は必要だった」と いう勝者の論に「鬼畜め、東京大空襲などでも非戦闘員まで大量に殺戮しやが って(1945年8月14日の大阪大空襲は、敗戦の前日だった!!)」と日本人で ある僕が歯軋りをするのと同質ではないか。ただ、戦争をするのは軍人だが、 それをさせるのは為政者だということを忘れてはならない。今夏も話題だった A級戦犯の合祀については、海外はもちろん、日本国内の批判も相当なものだ った。だいたい、他国民にも自国民にも多大な犠牲を払わせた張本人が「生き て虜囚の辱めを受けず」と戦陣訓を出しておきながら敗戦後、拳銃で頭部では なく腹部を撃ち、死に切れず捕虜となり、「しっかり裁判を受けさせないと」 とアメリカ軍人によって輸血されたのだから。
 
話を「鬼が来た!」に戻さねば。鑑賞後は、為政者でさえも「戦争しようぜー 」とか「じゃんじゃん徴兵しようぜー」といった好戦気分にはならない、むし ろ厭戦気分を高めてくれる。氏は、やはり戦争礼賛ではない本年作品「出口の ない海」でも潜水艦館長役を務められ、そうした作品に出演されていることに 感心させられる。
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あの「日本鬼子(リーベンクイズ)」が多摩市で上映 - 田中 伊織 2006年11月22日
夏に紹介した凄過ぎる映画「日本鬼子」が、東京南西部、多摩市の映画祭で 上映されることになった。日時、場所は11月26日(日)、12:00−14:40、京王 相模原線、小田急多摩線、永山駅から徒歩2分のベルブホール(永山公民館) 。この日、この会場のテーマは「戦争を生きた人たちから学ぶ―今私たち一人 一人が考えること―」で、夜まで同一料金で「あんにょん・サヨナラ」、僕が 今夏金銭的にも時間的にも都合がつかず諦めていた「蟻の兵隊」も鑑賞可能。 さらには「蟻の兵隊」池谷薫監督ほかの方々をお迎えしたトークショーも予定 されている。
 
それに先立つ11月22日(水)、15:00−17:50、多摩市役所隣のやまばとホー ル(やや交通の便がよろしくない)で僕がいまだに感想を下書きのままにして いる「東京オリンピック」が上映される。13:00−14:41、「裸の島」も同一料 金。テーマは「焼け野原から高度成長へ―戦後日本を描くVol.2―」。「東京 オリンピック」では、バンタム級で金メダルを獲得した桜井孝雄選手(中央大 学)の勇姿も必見もの。
 
本映画祭は、僕の棲む(←この字の方が「住む」より相応しい)近所で開催さ れるため、もしかすると会場へ出没するかもしれないけれど、それを発見した 読者の皆様、なにとぞ殴りつけたり捕獲したりしないようにしてください。
 
詳細は下記へアクセス願います。
http://www.tamaeiga.jp/
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労働の対価(仮題) - 田中 伊織 2006年9月2日
また、「バッシング」から題材を拝借。
 
主人公が勤務するホテルの支配人から「今日で辞めてもらう」と、その日の賃金も含め渡されクビになる事件があった。解雇の際、1月前に勧告するか、1月分の「給料」を支払わなければならない。これは労働基準法違反である。また、彼女の父も「自主退職」という形をとった辞めさせられ方をした。一応退職金は入ったが、長年勤務した会社も、従業員を大切に扱わないのか。可哀相に。しかし、現状はこんなものだろうか。などと労働者が諦めたらダメか。
 
さて、オザキジムの皆様のお陰で、人見知りの僕にも知人が増えた。今回はその一人、Aさんの身に起きた事件について読者の皆様にお知らせし、是非とも適切な助言をいただきたい。
 
Aさんは都内某ジムの合宿生で、プロテスト受験のために日夜ハードトレーニングに励んでいる。彼は僕同様好青年だが、と書くとここが「オザキバッシングジム」となり、僕が四方八方から叩きのめされる惧れがある。福沢先生も勘付いていらしたかも知れないが、「拳はぺンより強し」なので、僕と違って好青年としておこう。ただ、彼には困った点がある。自分が何か不当な仕打ちを受けた際、相手に優しい、というより甘いのである。結果、自分で損害を抱えることになる。Aさんはプロではないので生活は厳しい。その彼が先日ラーメン店でアルバイトをした。3日間、朝から晩まで働き疲労困憊したのだろう、辞めた。その賃金が未払いなのである。
 
僕はこの事件を、彼と同じジムのプロB選手に教えてもらった。「Aさんったらロードワーク中も上の空なんですよ。とりあえず内容証明出して、それでダメだったら労働基準監督署に訴えた方がいいって言ってるんですけれどね。やらないって言うんですよ」とB選手。「何だ、広く知ってもらいたがっているんだ。じゃあ、B選手の言う通りやっちゃえば」と僕は言った。「いや、いいんですよ。自分で辞めたんだし」とAさんは、金が惜しい、だけどもう諦めたという感じで呟いた。「はぁ? 自分で辞めたって言ったって、その間働いたんでしょ。働くって契約したんでしょ。つまり労働して、賃金を受け取るわけでしょ。じゃあ、店側が払うのは当然でしょ」というようなことを僕は珍しく? 語気を強めて言った。「それに、そういう話をしてくるってことはAさんやっぱり諦められないんでしょ。第一、働かせておいてお金を払わないって犯罪ですよ」と、B選手も元気良く説明した。そこへ、そこの練習生、法学部卒のCさんがやって来た。彼は僕らの話をよく聞いてくれていた。
 
僕はAさんに、「それは、Aさんがボクシングの試合に出てキックでKOされて『いや、いいんですよ』って言って賞金がもらえなくなっちゃうことと一緒でしょ」なんてことを言った。ボクシングの試合に勝っても賞金が敗者である相手に渡ってしまうといった話も頭に浮かんだ。とりあえず、金は取り戻さなくっちゃ。B選手は「まず、内容証明を出しましょう。法的権限は無いけれど、とりあえず相手をビビらせましょう」と勇気づけた。「そうそう、『カバチタレ!』でもそれを推奨していますよ」と僕は教えた。このマンガで、登場人物が内容証明を送りつけて本来受け取る賃金をしっかり支払わせた経緯が6年位前に吊広告で紹介されていたのを思い出した。そう、労働者が経営者の不当な仕打ちに対し、法的手段を執る薦めだった。「これが大人のケンカのやり方だ」といった文言も躍っていた。「そうだよAさん。『カバチタレ!』読まなきゃ」などと一時は盛り上がったのだった。
 
だが、彼は「いや、やっぱり自分で辞めたからいいッスよ」と、僕からすればひねくれた結論を出した。「ちょっと待って。もし、Aさんが店長だったとしたら、その辞めた人にはお金を払う?」「はい」「働いたんだもんね。でも、Aさんも働いたんでしょ。じゃあ、あちらも払わなければならないんだよ」「なんかボッタクリじゃないんスか」「はぁ? 払わせる額をそのまま請求したら問題無いんです。例えば3万円払わせるところを30万円としたらボッタクリなんです。全然問題無いんです」「面倒くさいッスよ」「はぁ? Aさんはプロボクサーになるんでしょ、そのためにジムで練習しているんでしょ。食費もジム代も無きゃ困るじゃん。自分の夢の実現を邪魔されているんだよ。全然面倒くさくなんか無いでしょ」「まあ、とにかく、次の仕事を見つけて、それで落ち着いてからやってもいいんじゃないですか。まずは収入を得なくては」とCさん。「Aさんは木谷さんのことも知っているし、(オザキジムマネージャーの)尾崎弁護士にも相談に乗ってもらえるよ」といった会話が僕らの間で交わされた。しかし、結果として、Aさんは訴えていない。でも、僕は何とかして彼の肚の底から怒りが込上げるように、店側に不当な仕打ちを許さないように立ち上がってもらいたいのだ。別に、恥辱を晴らすために侍らしく腹を切れという訳ではない。ボクサーだから殴り込みをかけろという訳ではない。包丁で叩っ切れという訳でもない。法的手段を執って店長を教育してやって欲しいだけだ。
 
今は休止中だが、昔、僕は柔道を少し稽古していた。先輩は「ピンチはチャンス」という言葉が好きだった。ちょうど今のAさんに該当する。仕事を辞めた。賃金が貰えない。どうしていいか途方に暮れている。これはピンチ。しかし、相談に乗ってくれる仲間がいる。解決法を教えてくれる。賢くなる。同じ様な目に遭う人がいなくなる。しかも相手の店長はチェーン店の人だ。いつかは彼も不当解雇されるかも知れない。そうしたら「ああ、昔Aさんが辞めたときに彼は訴えてきたな。そうか、俺も訴えればいいのか」なんてことを思い出して、極端な例ではあるが、自殺するのを止まることだってありえる。そうしたら人助けにもつながるのだ。これはチャンス。さて、払わない理由は何だか知らないが困ったものだ。「Aさんは焼き鳥パンチャー田中君の知り合いだから」というのであれば、これは「わたくしの不徳の致す所」なので猛省せねば。しかし、「3日しか働いていないから」とか「ボクサーだから」とか「〜だから」という不当な理由で払わないのが許せないし、Aさんもそれを当然のものと受け止める態度も恐ろしい。この「ボクサーだから」という理由で、プロ選手が殺人の罪を着せられ、死刑の判決を受けたが今も無罪を訴えている事件がある。それが「袴田事件」である。
 
この6月18日朝、購読紙を開くと、名門新田ジムの新田渉世会長の記事が目に飛び込んで来た。新田さんが「袴田事件」の袴田巌さんを救おうと、輪島功一氏等と力になるべく活動をしているというものだった。袴田事件。詳細は図書館で調べたり、新田さんの活動をインターネットで調べればお分かりになっていただけるだろう。僕は数年前に冤罪に興味を持った時期があり、その時にこの事件を知った。新田さんのウェブページでは、僕が見損っていた映画「ハリケーン」についての記述もあった。奇しくも同じ40年前の事件。殺人罪に問われているのはプロボクサー。袴田さんの闘争はまだ続いているのだが、きっと「ハリケーン」の主人公同様、無罪。 この、史実を題材にした映画の詳細は分からないが、逮捕理由は袴田さんの場合みたいに「人を殴る職業だから殺すことも訳無いだろ」といった人を虚仮にしたものかも知れない。まだ差別が残るアフリカ系の選手だったし。この映画が関連づけられているのには驚いた。僕の頭にも「〜だから」という理由である映画が思い出された。それが「ヒマラヤ杉に降る雪」だった。
 
と、ここまで書いてきて、意外な人物から意外な事実を教えられた。それは何と、Aさんが勤務開始する際の条件は、「最初の3日間は賃金無し」というものだったのである。意外な人物は「店側も素人を教育するのに手間がかかり、その分仕事のペースが落ちるから仕方が無いのでは」と推測した。が、僕はその意見を尊重しながらも「足下見やがって」と肚の虫が治まらなかった。
 
(つづく)
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映画「日本鬼子」鑑賞記 - 田中 伊織 2006年8月15日
暑さが続く。また、61回目の敗戦記念日が巡って来る。
 
普通、小中学校では日本の歴史を縄文時代から教える。まあ、現代に至るまで時の流れに沿っているのだから良い。が、余程のことが無い限り、近現代史には全く触れずに卒業することになるだろう。
それに追い打ちをかけるように、昨今の文部科学省の「ゆとり教育」のおかげで、無垢な子どもたちからとんでもない発言が聞かれるようになったらしい。「日本はアメリカと組んで戦争したんでしょ」「原爆はソビエトが投下したんでしょ」「中国には戦争に勝ったんでしょ」等等。全部違う。日本はアメリカ等と戦争し、原子爆弾を投下され、ソビエトには不可侵条約を一方的に破棄され滅茶滅茶にやられて、中国を含む連合国に降伏した。意外と、中国に負けた事実が知られていないので、明記しておく。
 
前回のコラムで「日本鬼子」の話を少ししたので、4年前に観た時の感想を書いておいたのを引っ張り出して、ちょっと書き換えた。その年の敗戦記念日に、僕は出演者の一人、湯浅謙氏のお話を某所で伺った。氏は中国人捕虜等の生体実験で悪名高い731部隊の陸軍軍医として執刀、確か4名ほどを手術(殺害)されている。杉並区在住で、腕の良い柔和な医師であった。その際にこの映画のことを知り、どのような方がどのような罪を犯し、どのように悔いているかに興味を抱いた。そこで、慢性金欠病にもかかわらず、出掛けた。
 
以下が、映画の感想である。やはり、「バッシング」同様に多くの方に観ていただきたい。今シアター・イメージフォーラムで上映されている「蟻の兵隊」と全く同時代のものであるから、こちらもお勧めである。僕も再度足を運ばなければ。今読み返してみると、この映画館の存在が如何に貴重なものであるか感嘆せざるを得ない。それでは、どうぞ。
 
映画「日本鬼子(中国語読みでリーベンクイズ、英訳するとJapanese Devils)」
 
そのへんの14人のお爺さんが15年戦争時代の残虐行為を語ったものを記録した作品が「日本鬼子」である。映画に登場した湯浅氏は、8月15日の講演時とほぼ同様のことを話されていた。僕は、生体実験が731部隊以外でも行われていたことを初めて知った。それは、メス捌きに長けた優秀な軍医の養成に必要であり、移動時に不要な捕虜の最も有効な活用(処理)法だった。いよいよ「手術」時、軍医はもちろんであるが、看護婦たちも笑顔でいたことに湯浅氏は驚いた。おそらく作りものであろうが、彼女たちにそこまでさせるとは戦争とはなんと酷いものかと話された。
最初に人を殺す時、湯浅氏は、結構すんなり実行できたようである。これは捕虜を眠らせる麻酔剤注射によるものであるが、映画での他の証言者たちはかなり違っていた。意識のある人間を銃剣で刺殺するのだが、とにかく手元が狂うらしい。捕虜を殺すべきものと教えるには、上官のしごき(詳細は略)が最も効果的だった。殺さなければ殴る。殴られるのは殺せない所為。憎むべきは捕虜だという巧妙な論理。見本を見せた上官は、剣の刃を実に巧く捕虜の肋骨の間に刺し込む。その後、新兵たちは度胸づけに死体を繰り返し突いてゆくのであるが、突いて突いて流出した腸に「長いな」と驚いたという証言は、今、そう滅多に聴けるものではない。戦闘員捕虜以外の、女性や子ども(非戦闘員)に対する暴虐行為は、筆舌に尽くし難いものである。
 
証言者の中には、自分の殺した人たちを夢に見た人も多く、生きているうちに話すのが、自分の責任と自覚し、実行する勇気を出す。証言者である夫の手記を読むまで、皇軍(この表現で戦争責任が誰にあるのかお解りになると思う)は正しいことを行っていたと教えられ続け、信じていた妻は、夫の中国大陸での行為に驚愕したという。湯浅氏によれば、戦前の日本は某殺人狂団のマインドコントロールと同様、国民が洗脳されていた時代であったが、このことは一つの例だろう。
「日本鬼子」のキャッチコピーは「実に憎むべき、わたくしであります。」というものだ。「おお、なかなか上手くつけたものだ」と思っていたら、なんと、大陸での軍事裁判の場面で戦犯の一人が述べていた。彼は高級将校(中将か?)だったので、軍人勅諭だとか「聖戦」の意義だとか、「生きて虜囚の辱めを受けず」だとかを帝国軍人としてよく肝に銘じていたはずだが、それが…。このシーンのためにだけでも「日本鬼子」を観る価値はある。
彼は収容所で改心し、湯浅氏も同様であった。そしてまた講演を続けられる。
「日本鬼子」では、虚構ではない、真実が語られている。この凄い作品が日本のテレビ番組で放映されることは恐らく無いであろうから、もしまたいつか上映されるのなら、読者の皆様に映画館へ足をお運びいただきたい。
 
追記
 
数年前に亡くなった親類は、召集令状を受け、中国戦線でも南方でも戦った。元来、動物好きで優しい性格だったから、中国で捕虜を銃剣で刺殺しなければならなかった時、どうしてもできなかった。そのため、上官に相当痛い目に遭わされたらしいが、自分の手で殺さなくて良かったと思っていたそうだ。南方では臀部に銃弾を受け、辛うじて生還したのだが、戦後はアルコールで忌まわしい体験から逃れることが多かった。正常ではいられなくなってしまったのだろう。
昨年、千石の三百人劇場で観た映画「戦争と人間」でも、同じシーンがあった。訓練時には銃剣で人形をしっかり突き刺せる青年が、お手本にと皆の前で捕虜の心臓を一突きしなければならなくなる。が、公然化はしないものの、侵略戦争反対の立場の彼は、後ろ手に縛られた捕虜の腕と胴の隙間、ちょうど脇の下辺りを突く。上官に命令され再度突くが、やはり意図的に手元を狂わせる。これがばれてしまって彼は半殺しの目に遭うのだが、僕の親類もこんなことになったのかと考えると非常に悲しかった。捕虜虐待がそもそも国際条約違反なのだから、「聖戦」と称して戦前の日本はどうしようもないことをやっていた。
人間、加害体験よりも被害体験の方が永く記憶に残るであろう。が、忘れられない加害体験もある。ベトナム戦争で非戦闘員を機上からライフル射撃してだったか、味方が射撃したのだったか、とにかくそのことで良心の呵責に苛まれ人格に障害をきたした元兵士の証言を昔テレビで見た。話したくはないけれど、伝えなければならない事実、これを抱えて生きるのは、出征した者の宿命なのだろう。戦争では、本当に総てが失われてしまう。人心も人命も文明も地球環境も。僕はそれが嫌なので、本稿を「戦争ってカッコいい」と信じてしまっている人たちへのささやかな抵抗としたつもりだ。後日、映画「父と暮らせば」「東京オリンピック」の感想と、「アジア・太平洋戦争と日本人ボクサー」について書く予定である。
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映画「バッシング」鑑賞記 - 田中 伊織 2006年7月13日
6月21日、渋谷のあまり大きくはない映画館シアター・イメージフォーラムへ、もっと話題になって良いはずの映画「バッシング」を観に行った。
 
理由は3つ。1つ目は、主演女優が綺麗なこと。たまたまご本人をお見かけする機会があり、そのオーラの強さに驚いた。その時は女優だとは知らず、綺麗な女性だと思ったが、とにかくオーラが只者ではなかった。
 
2つ目は、イメージフォーラムで上映されたこと。ここへは数年前、力作「日本鬼子(中国語読みでリーベンクイズ)」上演中に出かけて以来である。いつスクリーンを切られてしまうか判らないくらい、この作品が憎い方々には耐え難い証言によって成立していた。「バッシング」ともども、今ジャーナリスト志望の若者の間で評判の「グッドナイト&グッドラック」以上に製作・公開に資金と勇気とが必要だったと考えられる。僕は、「日本鬼子」を観た経験から、これは観なければならない! と強烈に感じたのだ。
 
3つ目は、2つ目と重複するが、内容に興味があったこと。本作品が誕生したのは、おそらく誰もが知っている事件、作品中では「あのこと」として語られていること、これがきっかけとなっていた。あの事件がイラクで起きる以前も、起きた当時も、そして今も僕自身はイラク戦争反対の立場で、それに小泉首相が賛成したため日本人が人質となったことを苦々しく思っている。他者が苦しんでいるのを助けに行ったり、その模様を世に報道すべく現地へ赴いた人たちが、苦難にあって帰国したり、「戦争に賛成した日本の国民だから」という理由で撃ち殺されたり、首を刎ねられたりした。イラクで奥大使らが(米軍に?)射殺され、本作品のヒントとなった3人が人質にされ、また別の2人も同様の被害に遭い、橋田氏たちも射殺された。犯人に非があるのは勿論だが、いったい、誰が彼らの犯行を増加させているのだろう。そう考えると、小泉首相には恐怖感を抱く。そして、理由は解らないが支持率の高い彼の人気にあやかり、善意から、米軍のせいで困窮しているイラク人民の様子をその目で確かめ、同じ人間として手を差し伸べようとした人たちを「非国民」呼ばわりする凄い政治屋(そうしたからって何もならないが、支持者の顔が見たい)たちが威勢のいい風潮。その中で製作された。とにかくチラシにある通り、「決断のロードショー」だったので、早く観なければならなかった。
 
ところで、今はこんな調子で書いている僕だが、恥ずかしいことに、一青年が上記の理由からイラクへ飛び人質となってしまったとき、「まあ、仕方ないでしょ。自己責任だよ」などと被害者及び親族(ご遺族)や友人の神経を逆撫でするような実に申し訳ないことを考えてしまったことを告白し、猛省し、キリスト教徒だった彼の霊魂が安らかに眠ることを祈念する。実名を出させていただくと、彼は香田証生さん。「生きた証」を残したいといった理由で命名されたと記憶している。確かオーストラリアに滞在し、この日本でほど現地の危険な治安状況、反日感情が報道されていないかったのだろう、「現地の状況をこの目で見たい」と出掛け、簡単に武装勢力に捕らえられてしまった。まずこの事件を知ったとき僕は、マスコミに踊らされていたのかいなかったのか、前述の取り返しのつかない感情を彼に対して抱いてしまった。少しずつ時間が過ぎ、まだ彼の生存中だったと思うが、彼が信心深いこと、生活の楽ではない人たちのために炊き出しボランティアをしていたこと、米軍当局主導のマスコミでは報道されないイラクの現場を見たがったこと、現地の人々と国籍の壁を超えて交流しようとしたこと、そしてボクシングを練習していたことを知った。香田さんには本当に生還して欲しかった。が、国連決議を無視して戦争を始めたブッシュ大統領を日本政府は支持している。残念ながら無理だろうとも思った。そして予期した最悪の結果が訪れた。もう一度、彼の霊魂が安らかな眠りに就かんことを。
 
鑑賞日であるが、21日(水)にするか、22日(木)にするかで、たまたま水曜にした。事前に映画館に座れそうかどうか訊いたところ、まあ何とかなりそうだと判った。7時15分からライヴがあるらしきこと、作品上映は7時30分過ぎになることを聞いたのだが、「はぁ? ライヴ?」と聞き違えたのかと思いつつ向かった。
 
到着すると、既にハンバートが歌い始めていた。優しい歌声を聴きながら空席探しをしている僕は「定時に退社するのだった」と悔やんでいた。だが、仕事のペースが遅く、一定の区切りをつけなければならなかったから仕方がない。いずれにしてもこの件は僕の「自己責任」。
 
遅れ馳せながら感想であるが、とにかく恐かった。別にホラー映画ではなく、妖怪やら殺人事件が起きるわけではない。が、この日本で普通の人が突然生きにくくなる模様が細かに映し出されていく。とくに主人公宅への「反省」を強いる電話、それに伴い電話番号を変更するかどうかという問題は、実際に、かつて世界の頂点に立った我が国の女子トップスイマーに起きた事件を思い出させた。ある出来事が元で、彼女宅には嫌がらせの手紙が何通も来て、無言電話が続き、家族は電話番号を変えたのだった。また、家族が社会の中で感じる疎外感も、北海道の海風が強く吹き付ける景色とともに寒々しさを感じさせた。本作品の紹介文「主人公有子は、いつか来るかもしれない、あなたであり私たち自身なのだ。」が身近な恐怖として迫ってくる。
 
内容に関して僕が気になった(つまらぬ)点は、「自転車の無灯火運転は大丈夫なのか」、「母親がやたら若いな(実は継母)」、「ジャンクフードもタバコも体に悪いぞ」といったものだった。ところで、800万の発行部数を誇る某新聞に連載している著名らしい映画評論家A氏は、「(主人公が)コンビニでおでんを買うのに、具をひとつずつ別々の器に入れ、汁をたっぷり、とわがままな注文をする。(中略)この幼児性と甘さのために、その哀しみも憤りも胸を打つまでにいたらない。終幕がメロドラマめいたのもいただけない。」と書いておられる。確かに、そのわがままぶりは困ったものだが、もし向田邦子著『無名仮名人名簿』(文芸春秋 1983)収録の「七色とんがらし」を読んでいらしたら、また別の評論文を書かれるかもしれないと思った。この話は筆者の祖父が七色とんがらしを愛用していた理由を彼女が推察していくものだが、鑑賞中に以前読んだその内容がはっきりと思い出されてきたのだ。もし、A氏と同じ点が気になった方がいらしたら、ぜひこの作品をご一読いただきたい。この世を憎んで無差別殺人に奔る輩よりずっとかわいいものだ。また、最後は希望を抱かせる終わり方ではあるが、そうでなかったらどこまでもがき苦しんでいくのかわかったものではない。単なる一鑑賞者の意見としては、あれで良かったと思う。
 
さて、めでたくイラクから自衛隊を撤退(撤兵)させることになった。一体全体、彼らの派兵意義は何だったのだろう。人質たちへの嫌がらせは何だったのだろう。香田さんの死は何だったのだろう。また、それを考え、また、今後の海外派兵、それに反対する者への全国的規模のバッシングの恐怖、人の強さ、優しさ、その他色々なことを感じ、考えるために多くの方々に観ていただきたい。なお、今月5日(水)には19時15分から監督と主演女優のミニライブが予定されている。
 
追記
 
僕の不手際で、本稿が掲載されるのが、シアター・イメージフォーラムでの上映終了後となってしまった。が、この作品は全国各地で上映される動きがあるらしいし、都内でもいつかきっと鑑賞可能な日が来ると思う。そして、上記の理由から、多くの方々がご覧になることを僕は願っている。
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はじめに - 田中 伊織 2006年7月10日
昨年2月26日(大安吉日)リニューアルオープン当日、大好きなオザキジムでの祝典に出席しなかったばかりか、その後の入会は4月1日と出遅れてしまった。そんな僕が申すのも生意気なのだが、皆様のお陰でオザキジムには練習生があふれるようになった。そして、われらが木谷マネージャー兼トレーナーが「幸せパンチコラム」執筆の時間が取れないほど大変に忙しくなっているため、ただの練習生の僕が、ジムやら社会問題やら気になることについて多少書かせていただくことになった。
 
ただ、断っておかなければならないのは、これはあくまで「焼き鳥パンチ(著作権者:木谷卓也)」好きな一練習生の意見であり、オザキジム全体のものではないということである。表現力がそう豊かではないので、他者の表現をお借りすることがあるが、極力出典を調べ、明記するようにしたい。記憶力低下等の原因で見つからない場合は、僕の捜索したものではないことと、その表現者へのオマージュ(賛辞)も記しておきたい。そうそう、これは「友人」のイタリア人画家、アルベルト・スギ氏の作品を盗作した容疑で一躍時の人となられた和田義彦画伯の弁明から拝借した表現だった。その点を早速明確にしておかなくては。
 
僕は読者諸賢の多幸を祈って書く。が、読んでいただければ即幸せになるという内容ではない。「幸せパンチ」を繰り出すお手間を拝借する。その理念は、打てば打つほど体脂肪が燃え、ウエストがくびれ、爽快感が増し、幸せになるという、ほとんど宗教に近いもの。読了後、「幸せパンチ」を、ミットに、サンドバッグに叩き込むことによって幸せになっていただきたい。したがって、重苦しいこと、悲しいこと、辛いことなどが主題となっていく。ある意味、「負け組の遠吠え」と解釈されると読みやすくなると思う。では、書き続けられる間、ご辛抱のほどよろしくお願い申し上げます。
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